私の引き出し
インタビューは天職
私は専門のジャンルを持たないライターとして活動していますが、一番好きで、得意だと自負しているのが人物のインタビューです。
これまで取材させていただいた方々は数えきれないほど。ジャンルを定めていない分、政治家や経営者、学長などのトップインタビューから、俳優やアーティストなどへの取材も多く経験してきました。
あるインタビューのあと「天職ですね」と言っていただいたことが私の誇りであり、この仕事をもっと極めていこうと思ったきっかけになっています。
中でも東洋経済オンラインの連載「脱会社員の選択」は、インタビュー好きが高じて始まった企画で、2022年の東洋経済オンラインアワードではソーシャルインパクト賞をいただきました。
これからも、私だからできる掘り下げと表現で、その方の想いを言葉に変えていきたいと考えています。
言葉に魔法をかける
「魔法みたい!」、これは、ある方の原稿を手直ししたあと、かけていただいた言葉です。
私は新聞や雑誌など紙媒体の執筆も多いため、決められた文字数で文章をまとめるスキルを高めてきました。
そのスキルを生かし、他の方が書かれた原稿を編集させていただくお手伝いもしています。
「読みやすくなった」「分かりやすくなった」、そして「魔法みたい!」と喜んでもらえるよう、言葉の魔法使いを目指していきます。
グライダー界の物書きとして
大学時代、航空部に所属して熱中していたグライダー(滑空機)。グライダーの自家用操縦士と二等航空整備士に加え、航空無線通信士を取得。オーストラリアで50kmの距離飛行、5時間滞空、獲得高度1,000mの銀章を達成するなど、それなりに頑張って活動していました。
一方、大学生のときから、当時発行されていた専門誌「Turn Point」の編集長で航空写真家・瀬尾央さんのもとで取材や執筆活動を経験。瀬尾さんが操縦するモーターグライダーに同乗し、北は北海道、南は鹿児島まで取材へ出かけました。
やがて将来は自分もグライダーの世界で「書く人」になろうと決意するも、瀬尾さんから「プロの仕事とは何か」を強く刻み込まれたこともあり、まずは実家の和歌山県で地方新聞の記者として就職し、プロとして仕事をしていく基本を身につけました。

結婚で退社するタイミングで、モスバーガー社の「地球遊学生」に応募。見事、選んでいただき、グライダー発祥の地、と言われるドイツへ。1ヶ月、夢のような日々を過ごして帰国。ますますグライダーへの思いを強くし、結婚後も日本滑空協会の機関紙制作を手伝うようになりました。
子育てなどでいったん機関紙作成から離れるも、再び編集長として復帰。年4回の季刊を続けています。
若手パイロットの支援活動「Soarist」も仲間と継続中。自分で飛ぶことはなくなったけれど、インストラクターの夫に乗せてもらえる、という特権はあり!
絆やつながりを大事
PTAや子どものスポーツチームでの役員や代表を経て、今は町内会の副会長として地域活動をお手伝い。PC作業を主に引き受け、助成金申請などを担当しています。
面倒だと思われがちな活動の中にも学びはあって、新しい視点や考え方が得られるときも。
一見、仕事に関係ない地域活動ですが、まわりまわって、自分に返ってくる気もしています。
その意味では故郷・和歌山とのご縁も再び結んでいきたいと考えています。